後鳥羽上皇かよ 「遠くへ行きたい」 #地元発見伝
「遠くへ行きたい」 #地元発見伝
私が今行きたいところは隠岐だ。
対馬や利尻島などの島には行ったことがあるが、隠岐には行ったことがない。
1221年の承久の乱に敗れたのち、後鳥羽上皇は隠岐に配流になった。
教科書で習うのはだいたいここまでなんだが、隠岐に流されたのち後鳥羽上皇は19年生きながらえる。
日本の中心で、政権の座にあった人物が、いきなり隠岐で生活することになる。環境激変もいいところだ。
いつも、どんな気持ちだったのだろう、と想像する。
日焼けとかしたんだろうか。
完全に想像だが、結構隠岐の生活を楽しんでいたのではないだろうか。でないと19年も生きられない。勝手な想像だけどそう思っている。周りの人としゃべったりとか結構あったのではないだろうか。
後鳥羽上皇は隠岐で『新古今和歌集』の編集作業を続けた。こんなところも長生きできた要因ではないか。今に『新古今和歌集』の「隠岐本」上巻だけが残る。
京都の朝廷では、後鳥羽を帰京させる運動が幾度か起こったという。いずれも幕府との交渉の中で頓挫してしまう。何度も期待を持たされてダメだった、なんて思うと、やっぱり後鳥羽はちょっと可愛そうな気もする。
後鳥羽上皇の最後の19年は述べてきたとおり意外と温和だったのではと想像する。そうしたことが許されるようなパワーが隠岐にはあるのではないか。これもまた想像だ。是非確かめに、隠岐に赴いてみたいのだ。
それと隠岐から帰って辣腕を振るう人物もある。小野篁や後醍醐天皇がそれだ。彼らの見た隠岐の世界にも想像を馳せてみたいものだ。
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