狭筵

はい

モナリザ・スプレー事件 あるいは1円玉を3000枚集める方法

1970年より数年間、日本においても「ウーマン・リブ」運動が盛り上がりを見せた。その具体的争点になった事件が「モナリザ・スプレー事件」だった。

 

1974年、東京国立博物館モナリザ展が開かれたとき、主催者側は混雑を予想した。そこで、バリアフリーの考え方が浸透した今となってはなかなか考えられないんだが、老人や障害者など付添人を必要とする人・乳幼児を連れた人の入場を断る方針を打ち出した。

これに反発した活動家の米津知子が、モナリザの入っているガラスケースに赤いスプレーを吹き付けて逮捕されたというのがこの事件の顛末。その後、この博物館の措置を廻って議論がなされていく。

ま、それは今日は措いておいて。米津は有罪になり、3000円の罰金を支払うことになったそうだ。米津はこれを、当局への反発を込めてだろう、すべて1円玉で支払ったという。今日はこれを問題にしたい。

 

一体米津はどうやって1円玉を3000枚も集めたのだろうか。自分のこととして考えてると、ちょっと面倒だ。世の中、どこから1円玉を3000枚を集められるのだろうか。米津は1円玉貯金でもしていたのか? 私の知識がないのでわからないのだが、どこかで両替をやってもらえるのだろうか? 謎である。

そして罰金を受け取った当局(これもどこが受け取るのか私は知らない)は、3000枚もの1円玉をどうしたのか。金庫に納まったのか? まったく余計なお世話なんだが、そんな所ばかり気になる。

日本の女性運動の歴史の1ページ「ウーマン・リブ」の盛り上がりのなかの1つの出来事「モナリザ・スプレー」事件。その後の議論を含めて、女性史の中でも重要な出来事だったことは十分承知している。ただ正直私は余計なとこも気になってしまう。

 

 

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