4月、大学の食堂でサラダしか頼まない女子学生
大学食堂でサラダバーのサラダだけの昼食をとる女子学生の話。
4月の初め、大学一年生ってのはちょっと大変だ。新しい人間関係を築かなくてならないからだ。
特に女子は所属するグループを模索しなければならない場合が多い。
このグループへの所属を如何にするかは、食堂における昼食がキーになる。
私は大学に長くいたので、毎春この事態を目撃してきた。
4月の本当に初めころ、食事のグループはかなり大きいもので所属する大学のクラスの大半の女子が一堂に会する。そしてやがては小さなグループに分割されていく。
このプロセスはまあ良いとして、この過程で生まれるのが、何故か食堂でサラダしか食べない女子だ。どういう因果でそのような常識的ではない食事を選択するのか解らないのだが、毎年1例は見かける。解らんと書いたが、恐らく女子グループの形成のなかでそうした態度をとることが益であると判断したのだろう、ってことは何となくだが感ずることができる。
このサラダは悲しい。
冷静に考えて、一度の食事がサラダだけってのはいくらなんでも少なすぎる。グループの形成過程においてそうした選択を為すのはわからなくもないんだが、悲しい。
こうした食事は決して長続きするものではない。これが悲しいし寂しい。
そしてこうした食事が生まれる要因として微妙な人間関係の機微があるってのもなんとなく寂しい。人間他の人の顔色を窺いながら生きて行く、って部分はしゃーないのだが、それがサラダだけの食事という結果に繋がると途端に寂しくなる。悲しくなる。
だがこの12月の時期になると、女子グループの形成も安定期を迎える。リア充になろうがぼっちになろうが、ポジショニングが固まってくる。そうなると食堂でサラダだけの女子は姿を消す。サラダだけの女子ってのは、女子グループ形成過程特有の現象なのだ。安定期に入るとそうした姿は見られなくなる。
心の赴くまま食事する1年生を見ることができるのは、実はこの時期からなのだ。