狭筵

はい

大地讃頌の歌詞

誰もが学生時代歌ったりあるいは聴いたりしたであろう『大地讃頌』。よく歌詞を見ると非常にラディカルなことを言っている。大地への無条件の感謝。人の子らはすべからく大地・土を愛し感謝すべし、という。何故大地に感謝しなくてはならないのか? 理由は何も語られない。もちろん感謝すべきだとは思う。だがあまりにもラディカルな主張だ。『大地讃頌』は、ただただ愛せよ、というのみなのだ。

これはあれだ。畑からとれた大根の良さを示すために、いきなり取れたての土の付いている大根を振りかざし、「これが新鮮な大根だ!どうだどうだ!!」というようなものだ。大根の魅力を示すには、取れたての大根を使ってしっかりプレゼンしなくてはならないだろう。そうしないと相手に伝わらない。成分を分析して美味しさに優れることを示してもいいし、もっと解りやすい方法をとるなら、美味しい大根の料理を作って魅力をアピールすればいい。やり方はいろいろあるが、いきなり大根を、それも土の付いた青臭い大根をだ、いきなり振りかざすのは私は納得いかない。ばあさん家では昔大根を作っていた。農家だ。だからわかる。大根を振りかざしても大根の魅力はなんも伝わらないのだ。これは大根を用いず譬えるなら、異性に対し、好きだ好きだいっていてもだめで、自分の気持ちをデートや何やらでデコレートして相手に伝えなくてはならんのと似ている。

大地讃頌』よ。お前は俺のブログ、このブログでだ。言及を逃れられるとでも思っておるのか。粗忽者め。お前は大根を振りかざしているのだ!それも土の付いた素朴な奴をだ。それじゃ納得いかねえんだよ!

なんてことを中学時代『大地讃頌』の練習中に思っていた。だから『大地讃頌』から想像される世界と言えば、私の中では皆(四部合唱それぞれの班で)取れたての大根を囲んで大根を持って泥だらけになりながら大地を褒めたたえながら歌っている姿だ。大地そのものがそこにはあり、その価値の確からしさは後回し。ただそこに土、泥があるのみ。

人間の作った農産物(例えば大根)は大地の範疇か? なんてことも思う。わからない。ただ少なくとも、ただ大地讃頌するでなく、こうした何が自然で何がそうでないのか? とか考えてから褒めたいのだ。

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