狭筵

はい

北海道で一番寒かった人たち

今週のお題「さむい」

 

私の住んでいる北海道は、近代に多くの移民を受け入れ開拓が進展した。
開拓者の出身県ランキングがある。時代や地域によりそれなりに違いはあるが、大抵の場合東北地方や北陸なんかが多い。北海道に近いのだから当然だ。あと岐阜県が多い。

一方で、西国から入植する事例がないわけではない。例えばオホーツク管内常呂町には「土佐」という地名がある。これはその名の通り土佐出身者が入植した地域だ。また開拓史上特筆すべきが徳島県で、岡本監輔の北地探索に始まり、雨竜町の蜂須賀農場、空知管内の栗沢町(今は合併して岩見沢市の一部)や十勝管内浦幌町に土地を所有した「那賀郡北海道殖民同盟会」と、開拓政策の変遷の中、断続的に移民を送り出している。

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写真は「北海道無料写真素材集 DO PHOTO」より引用「サロマ湖展望台」。この近くに「土佐」地区がある。

 

テーマ「さむい」に即して言えば、彼ら西国の移民第一世代がもっとも北海道の寒さを感じた人々だったと思う。私も徳島移民の血が混ざっているが、徳島に住んでいたわけではなく、もともと北海道に育ってる。だから寒いには寒いのだが、慣れっこになってる。

西国から初めて北海道に来た人たちは厳しい寒さに何を感じただろうか。土地の所有者である蜂須賀侯爵家や「那賀郡北海道殖民同盟会」の代議士はまぁ金持ちだからいい。不在地主であっただろうし。問題はその土地で耕した小作人の人々だ。一念発起してやってきた北海道。その寒さに何を感じただろうか。

耐えかねて帰った人も多かった。また入植した土地から離散してしまう事例もある。だがいまこうして私がオール電化の家でブログを更新しているのは、まぎれもなく、まぎれもなくだ。彼らがこの地で活動したからだ。

耐えられず帰った人、途中で違う地域に行ってしまった人、違う仕事を始めた人、今でも入植した地に子孫のある人。もともと北海道に住んでいたアイヌの人々。それら全部含めて色々な人のおかげだ。土地を開墾した人、商いを営んだ人、海で働いた人、炭鉱で働いた人。色々だ。とにかくたくさんの人が関わり今がある。いま北海道の整然とした道路や街並みを見るとき、そうしたかつていたであろう色々な人々のことを想う。

そして冬の日には、一番寒かっただろう西からの人々の苦労を想う。