狭筵

はい

物語

例えば幼いころ親から虐待されたことやあるいは現在睡眠薬を服用していることを、ネガティブな話でありながらもどこか雄弁に語る女のように、何でもいいからわかりやすい「物語」があれば楽だ。

大きな「物語」は消え去った。ただし、手のひらに収まるようなものであっても「物語」はそこかしこに、小さくなったけれども、そこかしこにある。

見かけ上ポジティブなものでも、逆に、見かけ上ネガティブなものでもとにかく自分に理由づけを為す何らかの「物語」がある。これに担保されて見かけ上ネガティブなものであっても人間はポジティブになれる。肯定される。

だがそれでいいのか? 糞みたいなありきたりなそこかしこにある特殊さに安堵して、それでいいのか? と思う。君の個性の蠢動はその程度か? と思う。(もちろん本当につらい時はそれでも良いだろうが。)