狭筵

はい

境内

「境内」という言葉を具体例にとる。呉音だ。これを「きょうない」とは、21世紀の現在においても、読まない。こんなに科学が発達したのに。

あの高度経済成長を経てもなお、私たちは着物を着なくなってもなお、慣用的に漢字の音読みに複数のあり方があり、私たちはそれを自然にこなしている。

「無理」「無事」何故私たちはこの二つの「無」の発音を峻別できるのか。ちゃんと峻別できるのはもちろんいいことなんだが、ある種の非合理性を備えている。私は日本語大好き人間だから違いがあって良いんだけど、でもやっぱり例えば日本語を勉強する外国人からすると非合理だと思う。

呉音と漢音を見るとき、長い歴史の中で動き続ける人々の営みを感ずる。現在過去未来の歴史のうねりを感じる。やがては呉音と漢音の区別は無くなっていくか合理化されるかするだろう。だが今はまだ。まだだ。

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