狭筵

はい

永沢

なぜ城ヶ崎さんのような可憐なお嬢さんが永沢君、いや永沢のことを好きになるんだろうか? これは私にとっては重要な問題で、ここ10年ほど、例えば道を歩いているときとか、うんこをぶりぶりしているときとか、あるいは厳寒期外気温がマイナス15度くらいでもカフェで大好きなアイスコーヒーを飲んでいるときとか、ふとしたときにこの問題が頭をもたげることがある。

 

私は圧倒的に、城ヶ崎さんのような人間は、人間の心性は、ああはならぬ、と思っている。別に城ヶ崎さんが善なる心性であるべきと思うのではない。城ヶ崎の性格が悪かったり、あるいは捻くれていてもいい。ただし、城ヶ崎的人物が、ああいうゆがみ方をするのは、はっきりいって間違っていると思う。現実的ではない、と思う。だから永沢は城ヶ崎の恋心に気付かない。

 

あの現実的ではない歪みは畢竟作者と私とのモノの見方の厳然たる差異に他ならない。どうしようもないマリアナ海溝だ。深い差違ゆえに、私はその深い溝にチャレンジする。今日も作品を読み続ける。