狭筵

はい

ズボンに穴

私は田舎に住んでいる。車社会だ。

車の便利さは重々承知しているけれども、自動車があることが前提の社会システムにただ従属するのは良くないんじゃないか、と思っている。

ということで、行けるところはなるべく自転車でいく。一日20キロくらいなら自転車で行ける。

しかしそのせいでズボンの股のところに穴が開く。とても恥ずかしいところに穴が開くのだ。しかも自分では気づきにくい場所だ。

自動車が当たり前の社会でもがこうとした時、ズボンに穴が開く。

田舎の中心街

田舎の中心街は空洞化が目立つ、と言われて久しい。

私の住んでいる街も中心部には駐車場が目立つ。

しかしこれはある程度仕方がないことで、駐車場は維持管理の費用や税金が安い一方、車の利用者が多いので儲かるのだ。理由があるからこうなる。

かつて商店や映画館があったのも、そこが駅前通りで人が集まるから。

現在は車社会だから、そこがビルテナントではなく駐車場になる。

強力な論理だ。中心部の活性化、ってのはこうした強力な社会の変動(ここでは鉄道から車中心の社会になったという点)の論理を超越しなくてはならない。

ただ活性化を叫び、祭り・イベントみたいなのを繰り返せば良いわけではない。

ここでは現在、強力な論理から逃れてきた、空虚な祭りが行なわれている。

春眠

昔の開拓者の記録を見ていると、春になると自然に眠くなるという。そんな記述が、たしかあった。

冬の間が厳しすぎて、知らず知らずのうちに体力を失っており、春になって火を絶やさずとも生活できるようになると自然に眠くなるのだろうか。北海道に住んでいるとはいえ、冬でもとても温かい生活を送れるようになったから、もうこのことは確かめようがない。ただ堕落をもって眠くなるのみだ。

犬のおしっこ

日本列島において犬と人間とのつきあいは縄文時代から始まったという。

現代日本においては犬は電信柱など道端の構築物や、塀などの隅におしっこをする。縄張りの意識だとか、他のわんことのコミュニケーションなどの意味があるという。

現代だと犬がおしっこする場所なんとなくわかる。俺は現代人だからな。だが縄文時代はどこにおしっこしてたんだろうか。竪穴式住居におしっこしてそうだが…。しかしなんというか竪穴式住居って曲線的な建物で、どこにおしっこするか犬としても困るのではなかろうか。いや多分竪穴式住居におしっこしてるんだと思うんだけれども。

弥生時代は何となくわかる。高床式倉庫の柱におしっこしてそう。これは個人的に自信ある。飛鳥時代以降に普及していく掘立柱式の建物は四角い構造を持つから、その角っこにおしっこしただろう。縄文時代。これがわからねえ。

タイミング

ある人が人間関係で悩みを抱えていて、それを打ち明けるのにふさわしい相手がまさに私しかいない状況があった。

お酒を飲みながら話を聴いた。飲まないと聴いていられないような話でもあった。でも飲みすぎたら話が錯綜してしまうので、居酒屋のあとはカフェでコーヒーとかを飲みながら話を聴いた。

人に迷惑かけないように、むしろ何か周りにプラスになるように日々の生活を送ることができれば。そういうシンプルな、「良い」状態にいつもいられれば、どんなにいいことだろうか。残念なことになかなかそうはいかない。けどそうなるように個人的にはやっていく。なるべく。そんなことを思いながら相手の相談を聴いていた。

マーボー豆腐

マーボー豆腐は、限界まで漢字で書くと麻婆豆腐で、今日行った中華料理屋のメニューにはマーボー豆腐と書いてあった。限界までカタカナ表記にするとマーボードーフだが、そんな表記は見たことない。マーボー豆腐はカタカナと漢字が混ざって変な印象を受ける。マーボーだってもとは漢字のはずだ。豆腐もたまにトーフって書かれることがある。だが麻婆ドーフとかにはならない。

改めて、マーボー豆腐。カタカナと漢字のハイブリッド。人口に膾炙しているのでこの単語に対して普段は変な感じがしない。北京をペキンって書くようなものだ。

今日食べたマーボー豆腐は茄子も小松菜的な野菜も、長ネギもひき肉もたくさん入っていてむしろ豆腐が少なかったが、これもまたマーボー豆腐なのだろう。美味しかった。

タバスコ

タバスコは謎の調味料だ。製造の経緯も、現在に至るまでの歴史も、日本への紹介も、タバスコに関する都市伝説も、何にタバスコをかけるべきかも、とにかく謎に包まれている。